将軍の性
「徳川家康のセックスライフ」
江戸城の「大奥」は、徳川将軍が子作りに励んだ場所です。
数多くの側室をはべらせていたとは、なんともうらやましい話ですが、現実はそんなに気楽なものではなかったのです。
ふつう自分がセックスする様子を人には見られたくありませんよね。
ところが徳川将軍の場合、励むときにはお相手の女性のほかに、お目付け役の女性二人がつきそう決まりになっていたのです。
そんなことをしたのは、側室が将軍の寵愛をいいことに、陰口や悪口を吹き込むのを避けるためです。
監視役をつけることで、それを防止したのです。
そして、将軍と側室が交わした会話は、翌朝老中らに報告されたそうです。
将軍にはプライバシーなどなかったのです。
「徳川将軍が好んだ女性の顔と共通点」
徳川将軍の正室には、名門の公家など由緒ある家計から選ばれましたが、側室となる八百屋や花屋の娘など、まったくの庶民から選ばれることがよくありました。
そんな徳川家康将軍のお気に入りだった側室の顔を調べると、いくつかの共通点があることがわかります。
一つは顔が面長であること。
当時の庶民には丸顔の人が多かったので、面長は貴重な存在であり、美人の条件でもありました。
またあごが細く、えらが張っていない、鼻が高いといったことも共通点です。
丁度、喜田川歌麿(きたがわうたまろ)が描いた美人画を参照してみるといいでしょう。
あの美人画のような女性だったということです。
これは、丸顔、低い花が多かった庶民とは対照的な雅な顔立ちの女性達といえます。
そんな側室たちは、将軍の寵愛を受けて世継ぎの子を生みました。
徳川家は、後代になるほど貴族的な顔立ちになっていきますが、その遺伝子は名門公家からきたものではなかったのです。
貴族的な風貌をした庶民出身の女性達によって、徳川家は貴族的な顔立ちとなったのです。